2001/03/10     アメリカという国家の正体                                     前頁に戻る

 

         

    「支配の構造−アメリカ」という文章を1999年に書いていたが時間がとれなくてそのままにしている。読んでいただいた方もあったようでこの文章はいずれ完成させたいと思っている。もともとこの文章を書こうと思ったのはビルトッテン氏の著作や彼のインターネットレポート「トッテンズレター(現在アワ・ワールドと改称)」を読み、さらにアメリカの歴史修正学派と呼ばれる方々の著作を読んでいて、そこに日本で礼賛され喧伝されている自由と繁栄の国アメリカのイメージとはまるで遠くへだたた実態が記述されていたからだ。日本の大マスコミはこの事実を報じない。彼らは日本政府とその主人であるアメリカ政府ににコントロールされているロボットであるからだろう。私はこれらの著作から得た情報をもとに自分なりの考察を加えて私のアメリカ観を完成させる必要があった。なぜならアメリカをどうとらえ、どうつきあっていくかということは今一人一人の日本人が真剣に考えねばならない重大な問題であるからだ。すでにわれわれはこの回答をだすことを避けて通れない瀬戸際に追い込まれているといえるだろう。国民一人一人がこの作業をおこたれば悲惨な結果が待っているだろう。太平洋戦争で日本国民は何も考えずお上や国家主義者の「鬼畜米英」の宣伝を真に受け亡国をまねいてしまった。同様にこんどは大マスコミの「理想の国家アメリカ」論を真に受けてアメリカという国家を見誤りアメリカのお先棒を担ぐことで二度目の悲惨な亡国をまねく危険性が十分に考えられからだ。一人一人の日本人がアメリカの実態を知り、アメリカとどう対処するか決断しなければならない。それも自分の判断に基づき自分の意志によってである。私も一人の日本人としてその回答を出す作業にとりかかっていたわけである。

    現在われわれ日本人はどのように美化しようと実態はアメリカというお釈迦様の掌の上で遊んでいる孫悟空に過ぎないのである。アメリカがその気になればわれわれのちっぽけな繁栄など直ぐに消し飛んでしまうことだろう。日本国の繁栄は米軍による事実上の軍事的占領という土台の上に成り立っている空虚な幻想にすぎないのである。われわれ日本人は見てみぬ振りをしているが、いずれ今のようなあやふやな関係ではなく明確な形でこの軍事占領の問題に決着をつけねばならない時がやって来るだろう。これまでのように国際経済が安定を保った状態が続いておれば問題は表面化することはなかったろう。臭いものに蓋をする格好で「思いやり予算」で問題を糊塗しておけばそれで済んだからだ。しかし今やアメリカ経済も日本経済も土壇場にまで追い込まれている。経済は瀕死の状態であり破綻は必至である。もし経済が破綻すれば資本主義の当然の帰結として戦争が必要になるだろう。戦争は最大の経済需要をもたらすからだ。この時瀕死の重傷を負った日本国の政府と財界は国民をそそのかし扇動して経済回復をスローガンのもとに当然アメリカのお先棒を担いでその戦争に荷担することになるだろう。その先は見え見えだ。日本人が米軍の先兵としてアジアに中東に血を流すことになるだろう。現在の米軍による軍事占領という事実と先の日米ガイドラインの動向を鑑みれば行き着く先がこのような結論に達することは必至なのである。その時日本人はアメリカ国民と同様に今以上にアメリカを助けるために奴隷のようにこき使われ奉仕する家畜のような存在に成り果てることだろう。アメリカ国民と同様にである。アメリカ国民は我々と同じ被害者である。私のアメリカ観の結論をここで言っておこう。アメリカを支配しているのはアメリカ国民ではない。ほんの一握りの富裕階級である。この連中は国際的に連帯して国際金融財閥を形成している。彼らは金融をバックに企業を動かし、軍隊を動かす事実上の地球の支配者なのである。アメリカという国は彼らに富みをもたらす巨大な工場であり、アメリカ国民は彼らに収奪され搾取され富みを生み出すために必要とされる奴隷に過ぎないのだ。この事実をはっきりと認識しなければ問題の本質に近づくことはできないだろう。

    私は実際にアメリカで生活したことはないし、それどころか旅行もしたことがない。これまで述べたことはあくまで数少ない米国人の著作を通じて自分なりに考察して得たアメリカ観である。したがってその結論に不安がない訳ではなかった。しかし世界中で起こっている様々な出来事から類推して私のアメリカ観は絶対に正しいという自負をもっていた。ところが最近アメリカで生活した経験のある日本人がその体験を綴った本を出版しており、たまたまその本を買って読んでみたが、その内容は私のアメリカ観とドンピシャリに符合していたのである。その著作は
       「僕はアメリカに幻滅した ―― 繁栄の影でいま何が起こつているのか?」
    という題名で作者は小林至氏、出版元は太陽企画出版である。この本にはとても具体的にアメリカ社会の実態が記述されており、アメリカを知る上で日本人には必読の書といえるだろう。文章がうまく内容が明快で分かりやすく書かれている。何よりも統計数字を利用した説得力のある説明がとてもよい。早速、母にこの本を読むように薦めた。母もよいと思ったのだろう別の家族のものに読むように薦め、今は山口家で読まれている。したがってここでその本の概要でも解説すべきところなのだが、都合のよいことに本日インターネット上でこの本の書評にお目にかかった。その書評の内容が私の意見を見事に代弁しているので以下にそのまま掲載しておく。むろん大マスコミによる書評ではない。「
    週間日本新聞」というインターネット上のとてもマイナーな貧乏新聞に掲載されたものである。評者は奇人とうたわれる太田竜氏である。

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    小林 至著 太陽企画出版(平成十二年十一月)

    「僕はアメリカに幻滅した ―― 繁栄の影でいま何が起こつてゐるのか?」

    小林至、この著者は、昭和四十三年生まれ。東大経済学部卒業。プロ野球(ロッテ)に入団。二年で解雇。平成六年渡米してコロンビア大学経営学大学院卒業。平成八年、米国フロリダのケーブルテレビ会社に入社。平成十二年六月解雇されて日本に帰国。六年間の米国生活の体験記、といふ。

    この人とこの著書は、今時、貴重だ。東大は東大でも、野球部員。そして、卒業すると、プロ野球に入る。東大野球部からプロ野球に入団する人は滅多に居ない。野球選手のみならず、スポーツ選手は、概むね、知識教養はお粗末であらう。しかし、東大を卒業していれば、まあ、或る程度の学力はある。野球では通用せず、二年で退団。そしてそのあと、米国に留学してMBA(米国の大学院経営学修士)を取る。近頃では、米国でMBAの資格を取る日本人売国奴志願者はきはめて多い。そしてその全員が、ユダヤ化され、骨の髄までの売国奴と化するであらう。しかし、この著者の場合は、少し違ふ。コロンビア大学でMBA(経営学修士)を取つたあと、金融界に入らずに、スポーツ関係の小さなテレビ局に入つた、といふ。つまり、この人の四年間の仕事上の地位は、中より以下。生活して見ると、米国の社会の仕組みは、貧富の差を拡大して社会を二極分化させる、最悪のものであつた。日本では、米国を地上天国のやうに描き出すアメリカかぶれの言論が充満して居る。それ以外のアメリカ観は、事実上、日本のマスコミには存在しない。この著者も当然、さうしたマスコミ言論で洗脳されていた。しかし、現実に米国で生活して見ると、大違い。いや、「違い」、といふ程度でない。そのことに著者は気付いた。のみならず、その会社から解雇されるときの会社側の仕打ちがすさまじい。

    「人間味を捨てた者だけが『勝ち組』になれる」(二百三十四頁)、それが米国である、という。
    つまり、米国で「勝ち組」の人間になるといふことは、ロボットか、動物に喩えれば爬虫類(三百三十六頁)だといふ。
    「冷血で残忍ならば、誰でも米国式合理性を身に着けられる」。
    「圧倒的大多数の米国人は、正義感が強く、むしろお人好しが多い。ところが残念なことに、そういう人間は、馬鹿をみるやうに、この国(米国)の社会制度がなつているのです。」(同上)
     この観察は全く正しい。このやうに冷酷で残忍な「勝ち組」は、人間味のある行動をとる普通の人々を軽蔑する、という。全くその通り、であろう。米国の勝ち組は爬虫類だ、とはまさにぴつたりの表現だ。

     米国の一般人の間では「医者と弁護士は悪者」、といふ評価が常識化した(百二十三頁)、という。いづれも、ユダヤ禍の典型である。 十五、六世紀、ユダヤ教のラビがユダヤ教徒に対して与えた、史上、有名な訓戒に、
    「お前たちは、子供を教育して、弁護士、医師、キリスト教会の僧侶、この三つの職業に進ませなさい。そしてそのことによつて、キリスト教会の支配体制を打倒して、我々ユダヤ人が世界の主人と成ることができる。」
    とある。その後、十八、九世紀に成ると、第三項の「僧侶」に、「科学者」が追加される。この方式が、もつとも完璧に実現されたのが、英国、オランダ、そして米国、この三ヶ国であらう。とりわけ、米国はその中でも飛び抜けている。前掲書、四十五頁に、
    「貧困層以下の人々の割合(いはゆる先進十二ヶ国)」(図表12)が引用されている(国連統計、二〇〇〇年)。
     それによると、

     第一位  オランダ(14・4%)

     第二位  米国  (14・1%)

     第三位  英国  (13・1%)

    つまり、貧しさ度上位三ヶ国が、見事に、ユダヤ化フリーメーソン化のもつとも進んだ国なのだ。これを言い換えれば、ユダヤイルミナティ国際金融寡頭権力の本拠地、である。

    日本は第九位、三・七%。

    とある。ところが、あら不思議。日本では、まぎれもない地上最悪の地獄たる米国を、地上最高の天国楽園唯一普遍の理想文明の国、としてほめたたへるアメリカかぶれ国賊売国奴がマスコミと学界政界官界宗教界芸能界財界を完全に掌握している。これは一体何のことか。摩訶不思議、とはこのことだ。

    斎藤貴男著「機会不平等」(文芸春秋社、平成十二年十一月)。

    この本は、この十年ないし十数年、とりわけ平成元年(一九八九年一月)以降、狂つたやうに推進されている「アメリカ化」によつて、日本の国家社会の全分野に於て、惨澹たる状況が展開されつつある、その記録である。成るほど、良く調べられている。しかし、にも拘はらず、あれよあれよといふ間もなく、最短期間で日本の伝統がたたき潰され、アメリカ化される。つまり、日本の国家と民族の解体破壞壞滅死亡宣告である。そしてその悪逆無道なやり口に対して、意味のある抵抗はゼロに近い。一体、これは何のことか。

    小林至氏は、米国の正体(本質)は、金権寡頭権力体制だ、と述べている。米国には、「民主主義」など、ひとかけらもない、と断定しておられる。全く正しい。いや、正しい、などと改めて云々するのも阿呆らしい。そんなことは常識中の常識だ。しかしそれでは、何故そのあまりにも当り前の常識が日本のマスコミによつて日本国民に伝へられないのか。何故日本のアメリカ問題専門家学者官僚ジャーナリストマスコミ芸能界宗教界そして政治家などによつて、その自明の事実が、日本人に教へられないのか。
    日本のエリート指導者階級全員、一人残らず、売国奴、国賊、である。これが、その理由である。

    日本は完璧に亡びた。「日本国」と自称するしろもの、それは、ニセモノの日本国、以外の何者でもない。
    小林著に曰く。
    「日本中央競馬会もさうですが、博打業界といふのは、本当に宣伝が上手です。テレビ映りがよく、話術に長けた金融界の教祖たち。刺激に満ちた金融ニュース番組。ノンストップで報道される株価の動向。インターネットが可能にしたリアルタイムでのアクセス。これらに加へ、過去数年間の記録破りの利益を背景に出てきたにわか長者が大々的に取り上げられるわけです。「博打であることを肝に銘じていても、楽しくて魅惑的なゲームに見えてきます。」(二十四頁)。
     宣伝が上手、といふ。これは現象論だ。そのやうに見えるであらう。しかし、そんな水準に甘んじていてどうする。

     B・K・エヒクマン著「アメリカ人の心の複製」(Cloning of the American mind)はこの際必読だ。エヒクマン女史には「新世界権力のための教育」(一九九一年)、「マイクロチップを埋め込まれるといふこと。教育体制権力はどのやうにして我々をビッグ・ブラザーの更にその先へ突き出したか」(一九九四年)、 といふ著作があるといふ。「ビッグ・ブラザー」とは、例のジョージ・オーウェルの「一九八四年」に登場する未来の独裁者を意味する。つまり、我々が、「一九八四年」に描かれた状況よりもはるかに高度化した独裁体制に既に組み込まれている、といふ。

    斎藤貴男著「機会不平等」は、オルダス・ハクスレイの「すばらしき新世界」の「優生学」を問題として居る。「優生学」は、左翼イデオロギー、右翼イデオロギー、そのいづれにも関係ない。むしろ、左翼、右翼を超越している。その上に君臨する何者かである。そのことに、この斎藤といふ著者は、ほんの少々、気付いている。それは結構だ。それにしても「優生学」といふ日本語の訳語は良くない。その意味するところは、優勝劣敗。優れた者を生かし、劣つた者を殺すこと。従って、勝ち残つた者同士の競爭は、加速度的に強化されて行く。その結末は何か。

    ジョン・コールマン博士によれば、三百人委員会は、地球人口八、九割殺戮処分計画を実行しつつあるといふ。コールマン博士のこの警告は、荒唐無稽な放言か。いやさうではない。英国(ユダヤイルミナティ世界権力の本拠地)には、この二百年来、
    マルサス→ラッセル卿→H・G・ウェルズ→オルダス・ハックスレイと、
    この人類大殺戮作戰を暗示又は公然と煽動する、作家学者思想家の系列が存在する。

    小林至氏は、「米国崇拜もいい加減にしろ!」(七十九頁)、 と言はれる。
    しかしこれは表層しか見て居ない。「米国式」、といふ表現は現象論だ。「米国」の主人公は、実はイルミナティ世界権力である。 この深層を明示しない限り、小林至氏の著作は、体制の安全弁に成つてしまうであらう。

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    価格が一部1800円と少し高いが、買って読むに十分価値のある本である。一読をお薦めしたい。