1999/03/20  支配の構造 - アメリカ(1)                                     前ページに戻る


                                                          
[アメリカ合衆国の支配の実態]

アメリカ合衆国(以下アメリカと表記する)は極めて特殊な国家である。この国は自然発生的な人間
の集団を母体として発展したいわゆる民族国家ではない。アメリカ合衆国は移民によって造られた
人造国家である。移民たちは、多くは一神教だが、多様な宗派の宗教を持ち込んだ。そのためアメ
リカのもう一つの顔は様々な人種と宗教から構成される複合国家であるということだ。現在、この国
の経済体制は爛熟した資本主義の終末期にあり、世界の命運を左右しようとしている。この国には
建国以来、政治的な建前として「自由と民主主義」というイデオロギーがあり、この建前が多民族か
つ多宗教(宗派)からなる複雑な国家構造の枠組みを強く支えてきたのである。このイデオロギーは
また資本主義の発展の強力な推進力ともなったのである。現在、日本はこのアメリカの属国であり、
アメリカの支配下におかれていると言っても過言ではない。われわれ日本人は日本のこれからのあ
るべき姿を模索していく際にアメリカという国家の支配構造を明確に把握しておく必要がある。少なく
とも、今後、日本が真の独立国をめざすならばアメリカは必ず不倶戴天の敵として立ふさがることは
確実である。われわれ日本人が民族としての自覚をとりもどし、真の国際貢献を目標として邁進する
ことを考えるならば、将来必ず敵となるアメリカという国家の実態を正確に把握し、それに対処する
知識を備えておかなければならないのである。
以下に 現代のアメリカの支配の構造を解明していくにあたって、アメリカという国家の特徴である
「移民国家」、「宗教国家」、「自由と民主主義」、「資本主義」、「軍事国家」をキーワードとして歴史
を振り返りながらこれらの意味を順に解明し、最後に支配の実態の核心に迫っていきたい。
 

移民国家

アメリカの教育制度は形式的には日本と同じ 6・3・3制を採用しているが、教育の中身は日本とまっ
たく異なっている。アメリカ人は教育は大学から始まると考えている。それでは高校までのアメリカの
教育とはいったい何なのだろうか。それは「立派なアメリカ人」になるための教育なのである。アメリカ
は自由な移民の国である。様々な民族と宗教(宗派)の人々から構成されている。そのため高校まで
の教育は主として「アメリカ人」という民族を育てるための民族教育にあてられるのである。現在の日本
で民族教育などやろうと思えば進歩的文化人や日教組の人達の反対にあってえらいことになってしまう
のだが、戦後の日本の教育改革を行い、日本における民族教育を廃止させた戦勝国のアメリカは、何と
その母国で徹底した民族教育を行っているのである。ここでおこなわれる民族教育には二つある。一つ
は国家に対して強い誇りをもたせ忠誠心を育てることである。もう一つはアメリカ人としてお互いにコミュ
ニケーションを行い討論できる能力を養うことである。アメリカは多民族・多宗教国家である。国民の間
で意志の疎通を欠いたならば疑心暗鬼に陥り、国家は簡単に分裂崩壊してしまう危険性がある。このこ
とを強く意識して幼いうちから学校で国家への忠誠心とアメリカ社会のルール、そしてコミュニケーション
の能力を徹底的に教え込むのである。したがってアメリカでは高校までの教育で数学や国語(英語)とい
った一般教養科目の出来が少々悪くてもほとんど問題にはならない。要は国家への帰属意識と忠誠心、
そしてお互いにコミュニケーションのできる(英)会話能力が身につけば良いのである。だからアメリカ人
でありながら高校を卒業していても英語が満足に書けない人がざらにいるのである。学問をやりたけれ
ば大学にいってじっくりやれば良いという考え方があるからなのである。

このアメリカの教育制度のありかたが移民国家アメリカの実態を端的に示しているといえるだろう。アメ
リカは国家発展のために大量の移民を必要とした。そのため移民を統制するために移民の中に強烈な
アメリカに対する愛国心とアメリカ式ルールを教育によって植え付けることが必要不可欠だったのである。
アメ リカはもとを正せばイギリスから宗教的な迫害を逃れてやってきた白人プロテスタント(キリスト教の
新教徒)がアメリカインディアンの土地を奪ってバージニアに建国した小さなコロニー(開拓地)が出発点
であった。最初はあくまでイギリスの植民地にすぎなかったわけである。しかし幸運にも独立戦争でイギ
リスに勝利したため、イギリスという既存の国家権力の統制を受けることがなくなり、ここに一時的に自由
な政治的な気運が高まり、「自由と民主主義」というプロテスタントの教義から自然に派生する理想的な
政治思想が生まれたのであった。やがてプロテスタントの南部、中部への拡大進出にともなって、南部で
は綿花を中心とした大農園が発展し、中部では豊富な地下資源に着目した工業の萌芽がみられるように
なってきた。アメリカの資本主義の誕生であった。この時代、南部では労働力の不足を補うためアフリカや
中南米から多数の黒人奴隷が導入され酷使された。さらに南北戦争以後は黒人奴隷の開放と西部開拓
の大発展ににともなって豊富な労働力が必要とされたため、ヨーロッパ、ロシア、アジア、中南米から 様々
な人種や民族が移民として流れ込み、人種のルツボと呼ばれるアメリカが形成されていったのである。

移民と呼ばれる人々は元を正せばその母国で食い詰めた貧民の集団である。裕福な人間は決して移民
などにはならないのである。アメリカが移民に対して歴史的に自由に門戸を開放してきた本当の理由は
広大な国土を開拓するために極めて安価な労働力を必要としていたためだった。「自由と民主主義」とい
う建前は移民達にはこの上ない夢を提供したし、移民を受け入れる側のアメリカの新興の資本家や地主
達にとっては低コストの労働力を手に入れるまたとない人集めのキャッチフレーズであった。しかし移民の
実態は悲惨なものであり、準奴隷的な境遇に耐えることを余儀なくされたのであった。しかし彼らには努力
すれば報いられる可能性が十分にあった。資本主義が発展段階にあったからである。この報われる点に
関しては黒人は除外されていた。黒人は奴隷解放宣言の行われた南北戦争以後も人種差別による迫害
を受け、1970年に公民権法が制定されるまで奴隷同様の下層の安価な使い捨て労働力として利用され
てきたのである。

プロテスタントは神の前でのすべての人間の平等をその教義としている。しかし彼らのいう人間とは白人を
意味しているのである。潜在的に有色人種は差別されているのである。たとえばアメリカ独立宣言の起草
者であるジェファーソンや独立戦争の英雄でアメリカの初代大統領となったワシントンは多数の黒人奴隷
を所有者していた。そしてそれに対して彼らは一片の悔恨の情も示してはいないのである。この時代、黒人
は人間とはみなされず物とみなされていたのである。つまり今で言えば機械と同じなのである。買った機械
をどのように使用するかは所有者の自由であるのと同様に、手に入れた黒人奴隷は煮て食おうが焼いて
食おうが所有者の勝手であったのである。黒人は単なる商品(もの)であって人間ではなかったのである。
これはリンカーンが世に名高い奴隷解放宣言を行った南北戦争の経緯を辿ってみれば一目瞭然である。

ちなみに南北戦争の原因は北部のアメリカ人が哀れな黒人奴隷を開放しようとして南部に対して起こした
自由と平等のための奴隷解放戦争であるなどと間違っても思ってはいけない。この戦争は北部の白人
支配層と南部の白人支配層の欲望剥き出しの経済戦争であったのである。南部は家畜同然の低コストな
黒人奴隷の労働力とイギリスから輸入した安価な農作業機械を使って綿花の大量生産を行い、これを
西欧諸国と自由貿易することによって莫大な富を獲得していた。これに対して北部では無尽蔵の天然資源
に着目した商工業が花開こうとしていた。しかしイギリスから安価な工業製品が輸入されてしまうため北部
の商工業は大きな打撃をうけ発展することができなかったのである。そのため北部では保護貿易を主張し
たのであった。この貿易政策の対立はお互いの死活問題であったが、結局、裕福な南部はそのまま独立国
としてアメリカから分離しようとしたため南北戦争が勃発することとなったのである。北部の商工業者にして
みれば製造した工業製品を消費してもらわなければならない南部に逃げられてしまってはまったくのお手上
げ状態になってしまうからであった。

南北戦争は結局ハングリーな北部の勝利に終わったが、この戦争では黒人奴隷の開放という戦略が見事
な軍事的効果を生んだのであった。リンカーンが南部の黒人奴隷の開放を高らかに宣言した背景には南部
の黒人の眠っていた白人に対する反発心を目覚めさせることで南部社会の団結に亀裂を生じさせ戦争を
北軍に有利に運ぼうとする目的があった。さらに黒人奴隷の開放によって北部の商工業者のニーズに適う
よう南部からの安価な黒人の労働力を獲得するという第二の目的も意図されていたのである。表向きは
プロテスタントの神の前の平等と自由と博愛を看板にして黒人の奴隷解放を叫ぶことで西欧のキリスト教国
からの干渉を排除するとともに裏では資本の論理に裏打ちされたしたたかな計算がなされていたのである。

黒人が奴隷という人格を認められない物としての扱いを受けてきた歴史的事実はその後連綿と続く彼らの
不幸な境遇の遠因となっている。アメリカが多民族国家として大きく発展していく過程で様々の民族が移民
としてアメリカに流入し使い捨て同然の不当な扱いを受けてきた。しかし彼らがアメリカの国家に対して反抗
を企てることのなかった最大の理由は先に指摘したアメリカン・ドリームの可能性があったことと黒人という
最下層の貧民がいたためである。移民の彼らがどんなに貧しくて惨めな存在であっても、彼らよりもさらに
悲惨な生活を送る黒人という存在があったことが、反抗の歯止めとなったのである。黒人はあたかもインド
のカースト制度における不可蝕選民や日本の徳川時代におけるエタや非人といった最下層の社会身分と
同様に社会に対する不満のはけ口として利用されてきたのである。アメリカのような多民族、多人種の混在
する複合社会においては社会の支配層にとって黒人の存在は国家を維持発展させていくためには絶対に
必要不可欠な存在だったのである。

一般にアメリカの社会階層を論じる時には人種的な格付けを引き合いに出して説明されるものだ。アメリカ
における人種的な格付けはWASP(ワスプ)と呼ばれるアングロサクソン系白人プロテスタントを最上位とし
て、ドイツ系、フランス系、アイルランド系、イタリア系、南・東欧系、ロシア系、といった順位で白人が階層の
上位を占め、それに続いてユダヤ系、アジア系が続き、最後にメキシコ、インディアン、ヒスパニック系
(中南米系)、黒人といった序列となるといわれている。もちろんこれは白人の側から見た序列であり偏見
には違いないが19世紀以来の固定観念としていまでも通用しているのである。今日では表立って口にこそ
出さないが白人にはこの序列に従った人種差別の意識が潜在的に存在するのである。そしてこの白人序列
の頂点に君臨するのがWASPと呼ばれるアングロサクソン系(イギリス系)白人プロテスタントであると言わ
れているのである。それに反し黒人は現代アメリカ社会でも社会階層の最低ランクに位置しているのである。

この社会階層の格付けはアメリカという国家を表向きに秩序だてて捉えるための方便として使われている。
もちろんこの階層は明確に権限の区別された階級ではない。それは社会構成を考察する際の形骸化された
格付けと呼ぶべきものにすぎない。したがって現代ではすべてのWASPが社会階層の上位にあり、すべての
黒人が社会階層の最下位にあるなどという見方はナンセンスである。憲法で法の下での平等を謳うアメリカ
では、確かに社会階層の位置は個人の努力と資質によって決まるからである。ただ相対的に見た場合、この
格付けは当を得ており、WASPは相対的に社会階層の上位を占め、黒人は社会階層の下位を占めている
のである。よくアメリカはWASPが支配している国家のように論じる人がいるがこの考えは明らかに間違って
いる。現代のアメリカはWASPと呼ばれる人々が国家を支配しているのではなく、WASPを含めたある一群
の人々がアメリカという国家を巧妙に支配しているのである。このことはあとで詳しく論じることにする。

現在、アメリカでは約2億6500万人の国民が生活している。このうち数十万人のアメリカインディアンの子孫
を除いては、すべて外部から流入した移民の子孫達である。彼らは徹底した民族教育を受け、アメリカ式ルー
ルのもとで「世界で最も豊かな国の国民」という誇りと自負をもって生活しているのである。しかしその実態は
表向きの繁栄とは異なり、社会階層の上位1%の人間が全国民の総資産の60%を所有する極端に不平等
な階層社会となっている。そしてかって存在した古き良きアメリカを代表する健全で陽気なアメリカの中産階級
は1970年代を境に没落の一途をたどり、今やどこにもその姿を見ることができなくなった。アメリカ建国当初、
WASPの祖先が理想とした自由と平等と博愛を実現するアメリカの姿はもはやそこにはなく、それに代わって
1%の超富裕階級が残りのすべて国民を収奪し支配する寄生国家アメリカの姿がそこにはある。われわれ
日本人には想像もつかないことだが、今のアメリカでは200万人の億万長者が豊かさの極致を謳歌している
反面、2000万人を越える明日の食事にもありつけない極貧の生活を送るアメリカ国民が存在するのである。

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