1999/02/10  大不況には悪がはびこる                                              前ページに戻る


不況が深刻になるにつれ悪質な詐欺犯罪が増加している。
それも善良な弱者ばかりをターゲットとした卑劣なものが多い。
倒産した経営者や自己破産者、失業者や生活保護者、母子家庭や
老人といった社会の中で最も弱い立場にある人達を食い物にして、
身ぐるみ剥いでしまうのである。

強いものや抜け目のないものをターゲットにしたら反撃をくらうため、
あくまで困窮した、無知で、善良で、助けを求めている弱い人々を狙うのである。
これらの人々に人助けの振りをして甘い言葉で近づき、巧みにだまし、脅し、奪い、
生き血を吸うのが常套手段となっている。そしてたとえそれが原因で相手が自殺
しても意に介さず、「騙される方が悪いのだ」と平然と開き直るのである。

こういう卑劣で悪辣なハイエナやハゲタカが大不況になるとはびこってくるのである。
弱者が被害にあっても反撃する知恵も力もないことにつけこんで、悪事をはたらき、
他人を不幸に突き落とし、生き血を吸う。こういったヤカラは社会にとって毒にしか
ならない不要な存在である。虫にたとえれば害虫そのものである。

私は人間は三種類に分類できると考えている。 一つは社会にとって必要な人間である。
つぎは社会の毒にも薬にもならない人間である。そして三番目は社会に害毒をもたらす
人間である。この三番目の人間は他人に迷惑をかけ、他人を害することで生き延びよう
とする悪意に満ちた人間のことである。こういう人間は社会にとって有害なだけの存在で
あり不要である。私はこういう人間は殺してもよいと思っている。

人間には虐げられている弱者をみれば、気の毒に思う慈悲の心が自然にそなわっている
ものである。そして自分に余裕があれば援助し、余裕がなければ励ましの言葉だけでも与
えたいと思うものである。窮地にあればみんなでかばいあって生きて行くのが人間の本来
の姿であり、そこが人間が他の動物と異なる唯一の点であると考えている。

しかし上の三番目の人間は痛めつけられ弱っている人間を見るといい獲物に出会ったと
喜ぶのである。そして言葉巧みに近づいて、だまし、すかし、脅し、そして死に瀕するまで
痛めつけ、略奪して逃げるのである。人情などかけらもない冷血で残酷で悪魔的な行為を
はたらくのである。どうしてこういう人間が現れてくるのだろうか。そしてこのものたちは同じ
日本人でありながら、同胞の弱者に対してどうしてここまで卑劣で残酷になれるのだろうか。

昔、文学青年だった頃、安部公房の「反劇的人間」という自伝的エッセーを読んでショック
を受けたことがある。ショックを受けたのは彼の文学論や、芸術論に対してではなかった。
少年時代を満州で過ごした彼が、日本の敗戦と同時に現地で体験した悲惨な体験談に
ショックを受けたのである。安部はこの体験によって日本人というものに終生、ぬぐいさる
ことのできない不信感を持つようになったといっている。

安部のいた満州の街では、日本が敗戦すると、ソ満国境を越えてソ連兵がなだれ込んで
くる噂が広がった。この噂によって日本の軍部や警察の上層部はいち早く逃げてしまい、
街は 完全な無政府状態に陥ってしまった。それまで支配者側の民族として威張っていた
日本人は、敗戦とともに最も悲惨な難民と化してしまったのである。それにひきかえ、日本
の統治下で従順で卑屈だった中国人や朝鮮人は民族としての誇りをとりもどし、日本人を
恐れず、戦勝国民として尊大な態度をとりはじめた。

中国人にしろ朝鮮人にしろ、もともと大陸に育った民族は異民族との長い抗争の歴史が
あり、民族的な団結心が極めて強い。それに加え日本の統治下で抑圧されてきた怨念が
くすぶっており、これが敵意を生んで、団結して日本人に対決しようとする姿勢が生まれ、
日本人に対する風あたりが強くなっていったのである。それにひきかえ島国で外敵の侵入
のなかった日本人はもともと民族的団結心という意識が希薄であり、日本人の心を一つ
に繋いでいた天皇制の崩壊も重なって完全な心身喪失の状態に追い込まれていった。こ
のため日本人は民族としての自覚を失い、その団結心に綻びを生じさせていたのである。

たとえば街の市場で日本人と中国人が取り引き上のトラブルを起こし口論を始めたとする。
するとあたりは中国人でいっぱいになり、集まってきた中国人が口々にものすごい勢いで
日本人を非難しはじめるのである。ところがこの現場の近くにいた日本人は、多勢に無勢
で孤立する日本人の当事者を助けようともしないで、とばっちりを受けるのを恐れてどこと
もなく消えていなくなってしまうのであった。これはトラブルの相手が朝鮮人の場合でも同様
であった。最も悲惨な状態に陥ったときにこそ民族は団結しなければならないはずである。
しかし日本人は同胞の不幸に目をつぶってその場をやりすごそうとしたのである。

そのうちソ連軍が満州に侵入したきた。安部の街にもソ連軍が侵攻してきて、ソ連兵による
暴行、強姦、略奪がくりひろげられた。さらに匪賊による襲撃などもあって日本人は最悪の
状況に追い込まれっていったのである。このとき街の日本人の有力者がソ連軍の将校に
かけあい治安維持のための自警団を組織 したい旨の申し入れをおこなった。ソ連軍側も
軍規の緩みを気にしていたのであろうか、この申し入れをあっさりと受け入れたため、この
有力者を中心に屈強なものを集めて自警団が組織されたのである。自警団とは私設警察
のようなものであり、日本人の家庭をまわって警戒を呼びかけるとともに他民族とのトラブル
の処理にあたったのである。

自警団の成立は不安な境遇にあった日本人に安堵の色をもたらした。しかしこれを境として
しばらくすると、日本人の家庭をターゲットとした残虐な一家皆殺しの殺人事件が続発するよう
になっていったのである。狙われた家庭は男手が少なく、比較的に裕福であることが共通し
ており、明らかに弱者を狙った犯行であった。また凶行の手口がどれも似通っていて、被害者
はいづれも手を潰されるか目をえぐられていたのである。これは片手を潰すか、片目をえぐる
ことで被害者に恐怖心をあたえ金品の隠し場所を吐かせたものと想像された。さらに金品を
奪うと、女を強姦したあと、子供も含めて一家を皆殺しにしたのである。これは明らかに複数者
による計画的な犯行であると見てとれた。その冷酷で残忍な手口には悪魔的なものを感じさせ、
街の日本人を恐怖のどん底にたたき落としていったのである。

自警団はこれを日本人に恨みを抱く匪賊のしわざとして、日本人に強く警戒を呼びかけた。
また率先して夜警を行ない、匪賊の襲撃に備えて武装したのであった。しかしその効果もなく
同様の惨劇が繰り広げられていったのである。そのうち自警団のあり方に疑問を抱く人も
でてきたが、自主的に治安にあたってくれる彼らを、表立って非難することはできなかったの
である。そしてある日を境にしてこのような凶悪な犯罪は街からプツリと姿を消したのである。
そして同時に、例の街の有力者を中心とした自警団の一団も街から忽然と姿を消していた
のである。残された自警団の事務所からは被害者の遺品が発見され、まさに彼らが凶行に
手を染めた凶悪犯そのものであったことが暴露されたのであった。昼間は善人面して日本人
の家庭を訪れ、おいしそうな獲物を物色しておいて、夜は鬼畜となって残忍な犯行に及んでい
たのである。そして決して正体がバレないように子供を含めて全員を皆殺しにしていたのである。

彼らの奪った金品はソ連軍の将校の手に渡り、その見返りとして彼らは日本行きのキップを
手に入れさっさと日本に引き揚げていったのである。同胞を犠牲にすることに一片の慙愧の
念も抱かず、ただ己が生き延びることだけに汲々として餓鬼にも劣る行為を繰り返したこの
連中は紛れもない日本人であった。安部はこの日本人の一部のものに巣食う同胞に対する
冷酷な悪魔性を心の底から嫌悪し、日本人の恥部として生涯許すことができなかったのである。

冒頭に書いた悪質な詐欺集団はこの人間の皮を被った悪魔達と同じ遺伝子を共有している。
同じ日本人が苦境に陥れば陥るほど、同胞の死肉を貪り、その屍の上に平気であぐらをかこう
とするハイエナどもだ。こういうヤカラは日本国から抹殺し、悪性の遺伝子を断ち切るべきなの
である。それは日本人が民族としての誇りを取り戻し、他民族に誠実に受け入れてもらうため
の禊なのである。日本人は悪に対して怒らなければならないのであり、決して悪を許してはなら
ないのである。