1999/04/15  悲しい本性を超える                                     前ページに戻る


                                                          
●嫉妬は人間の悲しい本性

人間は他人を嫉妬せず一日たりとも過ごすことのできない動物である。いかなる聖人君主も他人に嫉妬する。
人間に嫉妬はつきものである。自分よりもすぐれたもの、自分より優位にあるものをうらやみ、ねたみ、憎む。

人間は悲しいかな、どうあがいても嫉妬心をコントロールすることはできない。嫉妬は人間の本性なのである。
嫉妬は憎悪に変わり、憎悪はさらに破壊的行動にエスカレートする。人間の引き起こす世の中の諸々の悲惨な
出来事は人間の嫉妬心を出発点としている。人間の苦悩の源泉は嫉妬であり、嫉妬が人間の本性である故に
人間は永遠に救われない存在なのである。
 

●武道の原点

嫉妬を極限まで突き詰めると憎悪による破壊的行動、つまり殺人にいたる。妬ましくて憎くて憎くてたまらない奴が
いる。八つ裂きにしてこの地上から葬り去りたい人間だ。そいつを思うと、憎悪は極限まで高ぶって、心は鬼と化す。
そんな爆発的で行き場のない心の状況を手っ取り早く解消する最良の方法はそいつを殺すことである。殺す行為を
肯定し実行することだ。ねちねちと心の中で悩んでいないで、ストレートに思う存分、奴を殺す。殺しを実行することだ。

すべての憎しみをしぼり集め、殺意という凶器に仕立て上げ、相手の心臓に突き刺してやるのだ。憎悪を徹底的に
増幅させ、殺人という一点に全力を投入して、思いを込めて殺すのだ。それが嫉妬と憎悪を解消し、人間の悲しい
本性を超える最良にして最適な方法なのである。もとを正せば武道の原点はまさにここにあるのである。
 

●憎悪をもって憎悪を超える

武道は嫉妬と憎悪を極限にまで突き詰めて殺人というシンプルな形に純化した世界である。そこは正真正銘の殺す
意志と殺す意志との命を賭けた壮絶な確執の場である。憎しみの修羅と化し、自己の全生命、全存在を賭けた、
ストレートにして単純明快な殺しの場だ。そして結果として確実に冷厳な死のある透徹した世界なのである。そこには
人を騙し、罠に落とすといった卑しい謀略の陰りは微塵も入り込む余地はない。正に裸の人間同士が一対一の対等
な存在として激しくぶつかり合う単純にして明快な世界なのである。

人が徹底的に憎み合い、徹底的に殺し合えば何が起こるのか。もてる全てのエネルギーを投入し、憎しみと殺意を
徹底的にぶつけ合う。中途半端でなく、完全、完璧に殺し合うのだ。憎悪に憎悪を重ね、憎悪を持って憎悪を征する
のである。その結果生まれてくるものは何か。何と、とても信じられないことではあるが、それはお互いの人間存在に
対する自然な祝福の気持ちなのである。これは武道を通じて極限に至る徹底的な闘いを行った人間にしか理解でき
ない心情であろう。

武道の原点は殺し合いにある。されど武道の究極に目指すところは修羅を超えてたどり着くこの自然な祝福の世界に
あるのである。武道は人間が悲しい人間の本性を超克できる唯一の可能性なのである。