1999/02/15 K1のインパクト
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しかし勝負がKO負けという明確な形で示されたことで世間の見方は変わってくるだろう。
格闘技ファンなどというやからは気まぐれで移り気な連中だ。
負ければ「極真はたいしたことはない」という評価が定着するのである。
これで極真は名誉を失い、ファンがいなくなり、金にならなくなるだろう。
実はこれは極真空手にとってとても良いことなのである。
極真空手がゼロから出直す絶好のチャンスなのである。
格闘技がマスコミに乗ってもてはやされれば必ず堕落するものだ。
商売人にうまく利用され、しゃぶられ、捨てられるだけの運命が待っている。
その結果、品性を失ってガラクタと化した極真の残骸が残るだけである。
金から見放されるということは浄化につながり本来の武道へ回帰する道につながる。
いまこそ極真はプロとアマチュアの世界を明確に区別しアマチュア道に徹すべきなのである。
プロに行きたいものはアンディのように極真を離れプロの門を正式に叩けばよいのである。
空手かキックか、プロかアマか、どっちつかずのわけの分からぬ中途半端が一番いけないのだ。
キックのルールの試合であれば、あくまでキックの修練を積み、リングをめざすのが筋である。
その方が個人のためにも良し、興行のためにも良し、格闘技ファンのためにも良しなのである。
ところでK1で極真空手が惨敗したことにインパクトを受けて「極真なんて」と単純に決めつけてはいけない。
極真空手がキックよりも強いことは確かなのである。
問題は極真空手が顔面攻撃を軽視している点にあるのである。
これは本質的に間違っている。
顔面をたたく工夫と練習を怠っては一撃必殺の武道ではなくなってしまうのである。
現在の極真の試合はスポーツである。
それはそれで危険を排したかたちで組手の感覚を養うにはまたとない方法と言えるだろう。
しかしこのスポーツ化されたルールが空手の強さの指標となり目標となっていることが大問題なのである。
だからキックになめられるのである。
極真空手が武道であるなら一撃必殺の武道の追求を怠ってはならないのである。
そのためには試合での顔面攻撃の禁止云々にかかわらずボクシングやキックの顔面攻撃のテクニックを取り入れ、
空手の本来の鍛練方法にのっとった素手による高度な顔面攻防の技術を極めるべきなのである。