1999/02/05 グレーシー柔術について
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ではグレーシー柔術はやはり格闘技では最強ということになるのだろうか。
答えは多分イエスだろう。しかしあくまでスポーツとしてのルールのある格闘技と
しての話である。実戦の武術としてみればまるでお話にならないレベルといえよう。
あくまで一対一の場合を想定した素手でかつ噛み付きが禁止というルールのもと
での格闘技としては最強なのではという話なのである。実際の戦場ではそれほど
役に立たないだろう。多分空手の方が突き蹴りに特化しているぶん役に立つだろう。
なぜならグレーシ柔術は刃物をもった相手を想定した場合、相手を捕まえる必要
があるぶん、刺される確率が高く、空手より不利となるからである。これが一対複数
の相手を想定した場合は、さらにもっと不利になる。一人を組み伏せて締めに入っ
ている状態で別の相手から攻撃されたら、それでアウトだからである。ところが実際
の戦闘場面では相手が刃物をもっていたり、複数である場合のほうが普通なのである。
本来の武術はさらに銃火器を想定した場合も含めて対応できるものでなければなら
ない。グレーシー柔術はこの武術としての基本的な発想がまったくないのである。
グレーシー柔術のルーツは前田光世がブラジルに伝えた柔道である。前田光世は
講道館の出身であり、講道館柔道は日本古来から伝承された柔術を嘉納治五郎が
危険な技を取り除いてスポーツ化したものであった。つまり武術としての抜き身の
鋭さを骨抜きにし、スマートな形式に仕立て上げられたものが柔道であったのだ。
したがってグレーシー柔術に武術としての発想がないのは当然のことなのである。
といって現代の空手がグレーシー柔術よりも武術性にすぐれていると言っているわけ
ではない。たとえば極真空手一つとってもルール規制でガチガチにスポーツ化されて
おり、武術としての片鱗はそこにはみられない。しかし空手の本来の姿は武術であり、
さらに道として高められた武道でなければならないはずである。武術としての実戦の
戦闘性を追求していく姿勢を失えば武道ではなくなるのである。