1999/02/01  空手は社会教育に役立つか                                            前ページに戻る


空手を社会教育の一環として青少年の健全育成のために役立てようとする発言をよく耳にする。
最近の青少年が決定的に欠いている礼儀作法や長上を敬する念を空手という武道を通じて習得
させようとする考えである。体育の中のスポーツの一つとしてではなく、戦前の修身のような道徳
教育の一環として学校教育に空手を取り入れることについては、私は大いに賛成で異論の余地はない。

しかし営利を目的とする街の空手道場で、青少年の健全育成を宣伝文句に青少年の道場生を入門させ、
彼らに社会教育の大義のもとに空手の組手技術を教える場合、指導者はよほど心してかからねば、最悪
の教育効果を生んでしまうことを肝に銘じておく必要がある。

礼儀作法を習得することが目的で入門してくる青少年はまずいないのである。彼らのほとんどはケンカに
強くなるために入門してくるのである。大人以上に子供は狡猾で残酷な生き物である。道場では指導者に
おとなしく従う振りをしてても、実力がついてくると、陰に隠れ学校や家庭で暴力を誇示した振る舞いに及
ぶものなのである。強さがそなわれば、自然、人間は傲慢で横暴になるのが常である。これが人間の悪
しき性(さが)なのであり、ことに子供にはこの傾向が顕著である。

青少年の健全育成の目的がどこをどう間違ってしまったのか、教師や親に反抗し、暴行にいたるといった
正反対の結果を生む危険性がここにはある。これを防止し、本来の青少年健全育成の目的を達成するため
には、道場の指導者が青少年の道場生の親や学校の先生と連絡を密に取り、情報を交換し合って彼らを正
しい方向に導くよう努力する必要がある。空手道場の指導者はそのような責任と義務があることを強く自覚し
なくてはならないのである。